津軽のお寺 専求院

遺すこと。

こんにちは。

突然ですが、長男を産んでから遺書を書くようになりました。
遺書というと大げさですね。
ノートに書き留めておく程度ですが。

高校生の時、父親を亡くしてから、誰でも必ずいつかは、遅かれ早かれ死ぬのだと確信してしまい、悩んだり、悲しんでみたりしていましたが、遺書というか、そういうものをメモしておくだけで、ちょっとだけですが安心できるということに気がついたのです。

これを同級生に言うと、ちょっと変な目で見られましたので自分だけの秘密になってしまいましたが。

 

もし、命があと少しで終わるとしたら。と考えてみたことはありますか?

私はこうでした。

旅行もしたいし、美味しいものも食べたい。
会いたい人にも会わなくちゃ、言っておきたい事もたくさんあるなぁ。

でも、少し時間があるからいろいろできるけど、死は突然訪れることもたくさんあると考えると、何だかそれを考えてる自分がバカバカしいかも。
明日死ぬかもしれないし。

そうだ、だから遺書を遺すんだ。
やっぱりそれだ。と学生ながらに答えを出し、好きだった男の子のことを書いてみたり、 飼っていた犬や大事な物の始末まで書いていました。
今思えば、なんてくだらないことを書いていたのかと思いますが、そのときは真剣だったのです。

と書いてしまうと簡単なのですが、実は長い間悩んでいました。
遺書を書くと、もしかしたら死んでしまうのではないかというバカバカしいことまで。

そして、長男を産んでからは、長男の行く末がそれはそれは心配で、誰々に預けるとか、お金の事とか、書いていたレポート用紙には長男のことで埋まってしまいました。
その後、子供が4人まで増えましたが、未だに子供のことだらけです。

 

最近はエンディングノートなるものまであり、とても便利になりました。
私も、そちらに移行すべく購入し、作っている最中であります。

その構成たるや素晴らしく、謝りたい人へという欄、ありがとうの欄、伝えたい味、もちろんお葬式やお墓の希望、今までの思い出、書ききることができないくらいあふれています。

もちろん、書きたくない箇所は飛ばしていいのです。

遺したい思いは人それぞれ、様々です。

法律的なことは専門家にお願いしなくてはなりませんが、私のように子供達に伝えたい言葉や味(長男はオフクロの味が大事だと申しておりますww)、子供達が困ったときに母親ができる限りのアドバイスや思いを伝えられたらと思う方には最高のアイテムではないでしょうか。

子供達にはうるさいと思われてしまうようなアイテムになることもあるかもしれませんが、せめて親としての応援を紙を通して伝えたいのです。

私は今、健康です。
でも、もしかしたら明日死んでしまうかもしれません。可能性はゼロではありません。

だからこそ、筆が進むのでしょう。

余談ですが、高校生の長男は自分が気に入ったものを私がご飯に出す度に、「このレシピ、ちゃんと遺しといてね」と言います。
「ひどいわね」と言いながらもメモしておきます。

彼自身、親の職業柄、死について考える時間は多いと思います。
「絶対死なないでよ」と事あるたびに私に言いますが、可能性はゼロではなく、誰にでも起こりうることだと知っています。
それは決してかわいそうなことではないと思います。

死を隠そうとする大人達もたくさん知っていますが、死を意識して生きるということはとても大事なことだと考えています。

そればかり考えているのはどうかと思いますが、頭の片隅に置いておくのは必要なことだと思います。

今回は長くなってしまいましたね。

このブログも子供たちに残りますように。

読んでくださり、ありがとうございました。

合掌。

庭。

 

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