棺を蓋いて。
こんにちは。
先日、流通ジャーナリストの金子哲雄さんが亡くなりました。
テレビでは、わかり易く経済のことを解説していました。
時には笑い、時には感心し、私もファンの一人でした。
その金子さんの葬儀にはとても感心させられました。
お墓の準備はもちろん、葬儀の手配までご自分でなされたとニュースで知りました。
中でも、金子さんが参列した方々に配られた、お手紙。とても感動し、感激しました。
参列された方々も同じだったのではないのでしょうか。
ユーモアを交えながら、しっかりと関係者の方々にご挨拶をし、極楽へと旅立ちました。
このように逝きたいと思われた方も多いのではないでしょうか。
金子さんの旅立ちは、まさに棺を蓋いて事定まる、だと思います。
生前もその人柄の人気は高かったと思われますが、亡くなってからも金子さんの人気はより一層高まったのではないのでしょうか。
「棺を蓋(おお)いて事(こと)定まる」という言葉は中国の『普書』劉毅伝(りゅうきでん)に出ており、杜甫が引用したことで有名になりました。
人が亡くなって、棺桶にふたをした後に、その人の真価が分かるということです。
生前と死後とで評価が違った場合は、死後の評価が本物だということを表しているのです。
よく、「あの人は偉くなった」という話をします。
その場合の偉さとはどこにあるのでしょうか。財産を築いた、地位を得た、名誉を受けたなど、どれだけのものを得たかを話題にします。
得たものの多さによって決まるのが生前の評価といえるでしょう。
それでは死後はどうなるのでしょう。
生きているときには誰も気にかけなかったのに、亡くなった後に、偉かったと言われる人がいます。
財産や地位を得ていたかどうかは問題ではありません。
その人の言動が人の心に刻まれているかどうかなのです。
亡くなった後の評価は、その人が何を言い、何を行ったかによって決まります。与えたものによって、人の真価が定まるのです。
財産を築くことも地位名誉を得ることも悪いことではありません。
問題は、その得たものをどのように使うかということです。私利私欲を満たすために終始するならば、評価には値しません。その得たものが社会のために使われたときに、真価を発揮するのです。
金子さんは遺した家族や、友人などにたくさんの思い出と言葉を贈ったのですね。
きっと忘れられない贈り物でしょう。
ご冥福をお祈りします。
読んでくださってありがとうございました。
合掌。